Cemetery Polka









 タクシーが到着したのは、告げたはずの場所とは似ても似つかぬところだった。
 「おい、ここじゃないだろう?」
 呂律の回らぬ口で、なんとか文句を言う。しかし、運転手はふんと鼻で嗤って、おれを睨みつけた。
 「金も持ってねえくせに、でかい口を叩くんじゃねえよ」
 すぐ横のドアが、おかしいくらいに景気の良い音をたてて、バンと開く。凭れかかっていたおれも、すっかり潰れておれに全身の体重を預けていた彼も、まとめてドアの外になだれ落ちた。
 外に出てきた運転手が、おれの襟首を掴み上げて、道路の脇へと寄せようとする。しかし、銃弾やミサイルを装填していなくとも、軽く100キロを越えるおれのからだを、普通の人間が持ち上げられる訳がない。
 「何だ、こいつ。見かけ以上に重てえな……鉛みてえだ」
 ぶつぶつと背後で囁かれる悪態に、笑いがこみ上げてくる。鉛どころか、全身これ鋼鉄、爆弾まで仕込まれているんだとは、まさか言えない。にやにやくつくつと笑うおれを、運転手は薄気味悪げに見やって、襟首から手を離した。
 怪しまれる前に、何とか身を起こし、自力でよろよろと立ち上がる。こんな事態になっても、まだ潰れたままの彼を抱え上げると、運転手は忌々しげに舌打ちし、車内へと戻っていった。
 「さっさと行っちまえ、この渋ちん!」
 「おうよ、言われねえでもこっちから願い下げだ。てめえらみたいな一文なしの酔っ払い、幽霊にでもとっ憑かれて狂い死にしやがれ! あばよ!!」
 勢いで振り上げた腕も、収めようがない。猛然と走り去るタクシーが、イタチの最後っ屁とばかりにもうもうと排気ガスを浴びせてくる。ぽかんと開けたままの口から、排気ガスを嫌というほど吸って、おれは派手に咳き込んだ。
 堪らずに、地面に片膝をつく。尚も咳き込むおれの背を、いつ気がついたのか、傍らで潰れていた彼が、地面にぺたりと座り込んだまま、やさしく撫でてくれていた。
 「……おい、大丈夫か、アルベルト」
 「大丈夫じゃねえよ。くそう、あの運転手今度見かけたらぶっ殺してやる」
 涙が滲んでくるのは、派手に咳き込んだせいだけではあるまい。彼の腕に半身を預けて、お互いを支えあう姿勢を取る。おれはようやく咳の収まった胸を押さえて、長々と溜息をついた。
 まったく、おれたちときたらどうしてこう、同じことばかり繰り返しているのだろう。泥酔してドブに落ちたときのこともすっかり忘れて、またこうして、有り金全てを酒に替えてべろべろに酔った挙句、宿にもたどり着けずにいる。
 あのときのように、雨に降られてはいないし、全身汚水まみれ泥まみれではないのがせめてもの救いだが、あの運転手ときたら、どうだ。情けってものがないのかと、おれはぶつくさと愚痴を並べた。
 「まあ、世の中ってのは、そういうもんだな。決して甘くはない。正体なくした酔っ払いなんぞ、生ゴミと同じだ」
 もっとも、おれたちは生ゴミじゃなくて、リサイクルにも回せない産業廃棄物か、粗大ゴミってところだな。しかも放射能垂れ流しとくらあ。……
 自嘲気味に、乾いた笑いを発した彼を、おれはそっと見上げた。
 満月が、沖天にさしかかっている。そのひかりを受けて、毛髪のない頭がつるりと光っているが、肝腎の彼の表情は、逆光で陰になってしまっている。陰の奥から、彼の大きなはしばみ色の眼が、こちらをじっと見ていることだけが、かろうじて分かった。
 まさか、泣いているんじゃないだろうかと、頬に手を伸ばす。しかし、指先に触れたのは、いつもながらのあたたかな、やや年齢を感じさせる乾いた肌のみで、どこも濡れてはいないようだった。
 「我輩が、泣いていると思ったかね。美しき酔いどれ天使よ」
 ふわりと、覆い被さってくる陰。ほんの少し酒臭い接吻を、満月の下で交わす。こんなくちづけでも、与えてもらえれば少しは気を取り直すことが出来るのだ。それに……こんな時刻、こんな場所でもなければ、おもてでくちづけを交わすことは出来ない。道ならぬ恋に落ちてしまっている、おれたちのさだめだ。
 ところで、「こんな場所」とは言うものの……一体ここは、どこだ。
 立ち上がり、服についた土埃を払う。倒れないよう、肩を組みながら、彼も同じことを考えたのだろう。ぐるりと周囲を見回して、にやりと笑った。ほぼ同時に、おれの頬にも、同じ笑みがのぼる。
 目を見交わして、おれたちは、くつくつと笑いあった。
 「とんでもなく、我々におあつらえ向きの場所じゃあないか。だろう? 死神殿」
 「……ああ、グレート。こいつは上出来だ。出来すぎって言ってもいいかもしれない」
 尚も笑いながら、周囲を見渡す。月明かりに浮かび上がっているのは、白い墓石の群れだった。
 お互い、先刻の一件で、頭の酔いはすっかり醒めてしまっている。しかし、まだ肉体は吸収したアルコールを発散しきれず、覚束ない。千鳥足のまま、歩き出した彼につられて、おれも揺れる地面を踏んだ。
 墓場ってのは、中世の昔から町の外にあるもんだ。けれども、町から完全に離れた場所じゃあない。町の城壁のすぐ外、生の営みのすぐ隣に、しつらえられるもんさ。ちょうど、死が生と常に背中合わせであるように。
 だから、すこし歩けば、ちゃんと町の中心部に戻れる。心配するこたあない。
 彼のことばどおり、まっすぐ伸びた道の彼方に、ちらほらと街の明かりが見える。この調子で歩いていたのでは、どれだけ時間がかかるか知れたものではないが、まあいいだろう。こうして、彼と一緒にいられるのだから。幸い、今日は気温もそんなに低くはない。
 「いくらあくどい運転手でも、自力で歩いて帰れないようなところに、酔っ払いを置き去りにしたりはしないもんだ。やっこさんも、生活ってもんがあるからね。放り出したくなる気持ちは、よく分かる」
 ま、世の中、捨てたもんじゃないってことかね。
 月の光に照らされて、光る頭をつるりと撫で上げて、彼はひとりごちる。そして、上機嫌に鼻歌など歌い始めた。
 「……何だよ、たった今、世の中は甘くないなんて言ったばかりのくせに」
 「いやいや、いくら甘くはなくとも、こちらから見限ってしまうことはあるまい。いつも、希望は持ちつづけることだ。持ちすぎちゃ後が困りものだが、ほどほどに、ね」
 それも、そうかもしれない。
 黙って頷いたおれを見やって、彼は微笑んだ。そして、鼻歌の続きを歌いだす。それが途切れたころ、おれも陽気な歌を選んで、鼻歌を歌う。メロディを忘れたときは適当にごまかし、かわるがわる、めちゃくちゃな戯れ歌を歌いながら、おれたちは歩きつづけた。
 満月の下、覚束ない足取りで歩くおれたちの影が、淡く地面に落ちている。右へよろよろ、左へふらふら、何だか踊っているみたいだ。
 確かに、愉しい。世の中は、捨てたもんじゃない。
 「なあ、グレート」
 「……ん?」
 「あんたの言うとおりだよ。酔いつぶれて邪険にされても、世の中は、結構捨てたもんじゃない」
 こうしてあんたと歩いていられるし、それに……
 「外で、キスも出来た」
 「おやおや、結局それかね、おまえさんは」
 眉尻を下げて、彼が苦笑する。けれども、あきれているのではない証拠に、そのくちびるがそっと近づいてきて、ふたたびおれに、やさしいキスをくれた。




 了









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