Peace and Love













 真冬にしてはあたたかい日曜の午後、公園では何組もの親子連れが、それぞれににぎやかな笑い声をたてていた。
 灰皿がそなえつけられたベンチを見つけ、素早く陣取り、コートのポケットをまさぐる。彼は煙草を切らしていた。ぼくがジタンを差し出すと、彼は一瞬眉根を寄せて考えていたが、結局手を伸ばし、一本くわえて火をつけた。
 「どうだ?」
 「黒煙草はひさしぶりだが、悪くない」
 けれどもたぶん、彼のシトラスのトワレと混ざると、この臭いは最悪だ。きっと帰ったら、フランソワーズが眉をひそめるだろう。臭いが抜けるまで、もう一度外を歩いてきてと、閉め出されるかもしれない。彼とふたりきりで過ごす時間が増えるなら、それも悪くはないと、ぼくは腹の中でほくそえむ。
 「それにしても、日本でも煙草が吸いづらくなったもんだ。これじゃあ本当に、家でしか自由に吸えんようになるぞ」
 「おれたちの家だって、リビングは禁煙じゃねえか」
 「しかたないさ。なにしろうちにはずっと赤ん坊がいるんだし、われらのマドンナは煙草の臭いがお嫌いだ」
 「おまけに、煙草にいちばん理解のありそうなヤツが、あれだからなあ」
 ふたりして、鼻にしわを寄せて笑いあう。ジェロニモのことだ。静かな、重々しい表情をまねて、彼は胸を張ってみせた。
 「『精霊と会話するのに、煙草などいらない。心を彼らに添わせるだけでいい』」
 「ほんもののシャーマンにあんなこと言われちゃ、こっちはごもっとも、と言うしかない。それにフランソワーズは、ジェロニモ贔屓だからなあ。狡いぜ」
 「ジェロニモと張り合おうってのが、そもそも身の程知らずさね、おまえさんは。あの男はいつだって婦女子の味方だ。偉いもんだよ」
 「なんだよ、あいつが婦女子の味方なら、じゃあおれたちは?」
 「婦女子の大敵、不良中年」
 「不良はあんただけだろ。一緒にするなよ、この遊び人」
 「よく言うよ、こんなガラの悪い煙草吸ってるくせに。でもな、女ってやつは、こういうのに弱いんだ。『なんて渋くて素敵なの!』、なあんて。憎いねえ、この色男め」
 「……あほか、あんたは」
 仲間たちがもしこの場を見ていれば、またやってる、と苦笑することだろう。数十年、酒や煙草やお茶を片手に、彼と続けているやりとりだ。一見益体もないやりとりだが、これも立派な愛のプロセスだと、ぼくは思っている。たぶん彼もそうだと、なんの疑いもなく思えることが嬉しい。
 公園で遊んでいる親子連れのうち、親たちが時折、こちらを振り向く。煙草のせいだろうか、と言うと、彼はくくっと喉を鳴らした。
 「アルベルト、おまえさんも人が好い。警戒されてるんだ、ありゃあ」
 「警戒?! おれたちをか?」
 「どう考えたって怪しいだろう? 人相悪い外国人の男が二人、雁首そろえて真昼の公園にいるだなんて。おまけにくっさい煙草をふかして、子どもが騒ぐのをうるさそうに眺めていりゃ……」
 「悪かったな、人相悪くて。でも、子どもがうるさいなんて思っちゃいねえ」
 「思ってなくても、向こうはそうは受け取らんよ。日本人ってやつは、外国人に対して警戒心がとても強い。それにちょっと前に、子どもを狙った誘拐事件や傷害事件が続けてあったからな。子どもを持つ親は心配して当然さ」
 はあ、やれやれと、もう一本煙草に火をつけながら、嘆息する。住みにくい世の中になっているのは、どこも同じのようだ。
 「……ジェロニモみたいに、平和と愛の心が全身からにじみ出るような人徳がありゃあいいんだがな、誰も彼も」
 「平和と愛、ねえ。……」 
 あいかわらず、ちらちらとこちらを窺う視線を感じながら、ぼくはくわえたままの煙草をふかす。そして、にわかに降ってわいた思いつきに、くちびるの端にたちの悪い笑みを浮かべてしまった。
 「あるぜ、グレート。そういう方法」
 「んん?」
 「てっとりばやく、平和と愛の心が全身からにじみ出る方法」
 彼が煙草の吸い殻を、灰皿に落とした。溜まった雨水に、吸い殻がじゅっと音を立てる。その瞬間を見逃さず、ぼくも吸い殻を灰皿に捨て、彼の肩を掴んだ。
 「おい、アルベ……」
 ぼくの名前を呼び終える前に、彼のくちびるに食いついた。あわてふためいて、ちぢこまる彼の舌を絡め取って、丹念に吸う。くせのある黒煙草の味の奥に、ほのかな甘み。観念して、彼はぼくの無謀を受け止めてくれた。抱き寄せられ、舌の裏をそろりと舐められて、背筋に電流が走る。彼だけが知っている、ぼくのからだの奥の奥が、熱を帯びてふるえてしまいそうになる。
 もっと、ほしい。けれどもさすがに、ここまでだ。名残惜しさを抱きしめながらくちびるを離すと、頬を紅潮させた彼が、途方に暮れた眼でぼくを見つめていた。
 「アルベルト、こりゃあ、にじみ出るなんてもんじゃなかろう。あの健全な市民たちには、ちと刺激が強すぎる」
 「ふーん、外でキスしたのは、これが初めてじゃないと思うが?」
 「ここは日本だ。ロンドンやベルリンとは違う。それに、外でこんな、あからさまにしたのは……はじめてのはずだろう?」
 「あからさま、ね。その響き、なんだか興奮しちまう」
 一緒に向こうをうかがうと、案の定、親子連れはあっけにとられて、固まっていた。ぼくは堂々と新しい煙草をくわえ、ライターで火をつける。そして彼にももう一本、煙草をくわえさせて、その先端にぼくの煙草を近づけた。けむりの陰で、彼の頬にそっと鼻をすり寄せると、あたふたと親子連れたちが公園から出て行くのがみえた。
 「なんだ、行っちまうのかよ。つまらねえ」
 「おまえさんが、過激なことをするからだろう?」
 「しょうがねえや、おれたちは不良中年なんだから。もひとつついでに、平和と愛のメッセンジャー。受け取れなかったのは、向こうが悪い」
 「……勝手だねえ、まったく」
 「自分を偽らずに、生きていたいだけだ。平和も愛も、堂々と表現できない世の中なんて、まがいものだろ」
 彼の肩に頭を預けて、天を仰いだ。ロンドンともベルリンとも違う青い冬空は高く、澄んでいる。気分がよかった。
 「ついでにあんたともうちょっと、平和と愛を分かちあいたいんだけどな」
 そこの藪の中でもいいけど、と言うと、ぼくの恋人は吸い込んだばかりのジタンのけむりに、盛大にむせた。



   了



付記:
 再度、みの字さまの年末年始のお祭に提供したもの。唐突に、降ってわいたネタです。軽妙洒脱をめざすためのレッスン。グレートさんが不良中年を自称するきっかけは、別の話がありますのでいずれそのうち。
 うちの74は、漫才コンビです。お互いボケだのアホだの言い合っていても、根底にはゆるぎない信頼と愛情がある。そんな関係性を描けたらいいなと思います。



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