Sunday Morning













 ひさしぶりに会えた休暇のうち、半分はなにもせず、ただ素肌を触れあわせてのんびりと時を過ごす。それはロンドンにいようとベルリンにいようと、ほとんど一緒だ。
 せっかく活気のある街にいるのにもったいない、怠惰だと言う者には、言わせておけばよい。なにしろ世の人並みに額に汗して働くほかに、ときには熾烈な闘いに身を投じなければならない身の上だ。好きにさせてくれ。もはや地獄に幾度落とされ、灼き尽くされても足りぬほどの罪を犯してきた。いまさらこれくらいで、咎められてはかなわない。
 ――とはいえ、これは……怠惰と姦淫の報いかな。
 逢瀬も三日目の日曜日の朝、カーテンを開けたところで、思わず彼と顔を見合わせてしまった。
 朝とはいえすでに午前十時、窓の外は雨。明日は晴れたらキュー・ガーデンに行こうか、などとのんきに言っていたのだが、そういえば昨日も一日、天気予報どころかTVさえつけず、ずっと裸でごろごろしていた。噴き出してひとしきり笑い、どちらからともなく、またベッドに戻ってシーツをひっかぶる。キュー・ガーデンは、それでお流れになった。あそこには温室もあるが、今の季節ならば晴れた空の下で愉しみたい。
 玄関に新聞を取りにゆき、二度紅茶を淹れにキッチンに立ったほかはかたときも離れず、時はゆるやかに流れていった。それぞれ読んでいた新聞のページを交換しつつ、思い出したようにほほえみあい、絹のような銀髪に、そっと指をくぐらせる。時折彼には、小さな子どもに対するような触れかたをしたくなる。しばしば彼が幼いしぐさで甘えてくるせいか、それともお互い長い間、親しい友人の間柄で充足しようと、必死に本心を押し隠していたせいか。
 くぐもった、すこし眠そうな声で、彼がなにごとか呟く。なんだね、と問うと、猫の仔のように額をおれの掌に押しつけながら、くすくす笑った。
 「おやこ、みたい」
 「おやこ?」
 「ときどき、思うんだ。あんたと親子だったらどんなだったか、親子っていうのも悪くないかな、なんて」
 「……」
 「もし子どもがいたら、あんたはきっと、いい父親になっただろうしな」
 髪を梳いてやりながら、冗談にもほどがある、と思った。
 どんな聡明な美女と結ばれたとしても、こんなに美しくやさしく、才能に溢れた子が、おれの子に生まれるはずはない。それにこのおれが人の子の親に、しかも“いい父親”になるところなど、想像すらつかない。ひねこびた切り株からは、やはりひねこびた芽しか生えぬもの。それがこの世の習いだし、おれに似た子など増えぬほうが、この世のためというものだ。
 「おまえさん、ファザコンだからなあ」
 そう返すと、彼は心外だ、と言わんばかりに眉根を寄せた。胸の内に立った波風を隠したくて、おれは調子に乗ったふりをする。
 「それになあ、アル中の父親に、ファザコンをこじらせた息子ってのは、病的にもほどがあるぞ?」
 「ファザコン? おれが?」
 「おや、違ったかね? なにしろおまえさんの気に入りときたら、張大人に自由大学のゲオルグ教授に、あとは運送会社の社長と、それにおれ? えらい年上の男ばかりじゃないか。おまけに自分より年下の連中には、そりゃあもう手厳しいったら」
 おれのことはいい、と不服げに鼻を鳴らし、口の端を曲げる。本当に機嫌をそこねてしまう前に、包み込むようにそっと抱きしめた。
 腕の中で、彼がまばたきをして息をひそめるのがわかった。なにかを期待しているのだろう。けれどもあえてなにもせず、額に頬を寄せて、しばしぬくもりを伝えあう。抱擁を解くと、彼はすこし口をとがらせて、もしかして、と言った。
 「……親子の、ハグ?」
 「そう、きみが私の息子のつもりで、抱きしめた」
 「この格好で?」
 「親ならわが子を裸で抱きしめることだってあるさ。風呂にいれてやったり、着替えさせてやったり」
 「親子でなくても、どっちもあんたにしてもらってるけど」
 返答につまっていると、彼は人の悪い笑みを浮かべる。鈍色の手と白い繊手が、同時にのびてきておれの手を取った。死神の手でもあり、音楽の天使の手でもあるその手は、しなやかに滑り、指を絡めてくる。その動きに心を奪われていると、吐息のようなささやきが、不意に耳朶を撫でた。ごめん、あんたを困らせるつもりじゃなかったんだ、と。
 「また、自分嫌いの癖が出たろ、グレート」
 「……」
 「さっきさ、あんたは自分のこと、アル中の父親って呼んだけど」
 「……ああ」
 「ぼくがあんたの子どもなら、あんたを酒浸りなんかにはさせない。仮に生身のときに出逢ってたとしても、……」
 しばし口ごもり、ああ、そんなんじゃなくて、と苛立った声で呟く。適切なことばを見つけるより先に、彼は渾身の力で抱きついてきた。
 「足りない。ぜんぜん足りないんだよ、親子のハグなんかじゃ」
 「……アルベルト」
 「親子じゃあんたとキスできない。愛し合うこともできない。同じ血が流れていることで結びつくよりも、あんたとはもっと……深く、つながっていたいんだ」
 「……深く?」
 眼を大きく見開いて、俯いてしまった彼の紅潮した耳に、そっとくちびるで触れた。あ、と湿り気を帯びた声をあげて、腰がふるえる。開かれたからだの間に、導き入れられる。
 無防備な彼を、ベッドの上に横たえさせた。なめらかな肌を伝い、まだやわらかいうすももいろの果実をやさしく食んでやると、大きく背がたわみ、甘い吐息は熱を帯びる。眼を上げると、うるんだひとみに虜にされた。姦淫にふけるにはあまりにあどけなく、そのくせ有無をいわせぬ力強さで、訴えかけてくる。ほしいのはそれだと。
 「好き。……大好きだ、グレート。誰よりも、愛してる。だから……」
 「……だから?」
 「親子じゃできない方法で、ぼくを愛してほしい。……そうしてる間は、昔のことも、思い出さなくて済む」
 より深く開かれたからだの奥に触れながら、まっすぐに見つめあう。高鳴りゆく彼の鼓動が、指先から聞こえる。
 「愛しているよ、アルベルト」
 「……ん……」
 「おれだって、足りやしない。小さな愛し子のように、きみを扱うだけでは、……」
 神に感謝する。親子として、きみと出逢わなかったことを。この世で無二の、魂のすべてを委ねるつがいとして、めぐり逢えたことを。
 あかるい雨が降り注ぐ下、律動とともに、体温と鼓動がひとつに融けあってゆく。



   了



ブラウザの「戻る」で、お戻りください。